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沖縄県の県庁所在地はなぜ那覇市?

(公開日: 2022年11月14日)

沖縄県の県庁所在地の概要

県庁所在地

那覇市

県庁の住所

〒900-8570沖縄県那覇市泉崎1丁目2-2

県庁舎

沖縄県の県庁舎は地上14階、地下2階建ての建物です。

近代的な建物の正面玄関にはシーサーが置かれており、新しいものと昔からの伝統をどちらも大切にした構造となっています。

沖縄県の県議会棟、沖縄県警察本部庁舎と隣接しており、近くには市役所やテレビ局もあります。

14階には展望室があり、市民が自由に出入りすることができます。

西側に開けた展望室からは那覇市の中心部や海を見渡すことができます。

那覇市が県庁所在地になった経緯

ここからは、那覇市が県庁所在地になった経緯について解説していきます。

琉球王朝時代

琉球王朝時代の那覇は海外貿易の拠点として大変発展していました。

まず首里の港と外国の交通が開けたことにより、那覇の港も繁栄の一途を辿ります。

「唐、南蛮寄り合う那覇泊」と歌われたように、多くの人が行き交う港町となっていたのです。

1853年にはペリー提督が那覇に上陸したことでも有名です。

廃藩置県と沖縄県

1871年の廃藩置県の影響で、1879年に琉球王国は消滅し、沖縄県が誕生します。

その際現在の那覇市にあった旧薩摩奉行所跡に仮の県庁が設置されました。

そして1896年、特別区制が施行され、那覇は「那覇区」となります。

州圏の地域と合併し、現在の面積の那覇市ができたのは1914年ごろのことです。

沖縄戦と那覇市

太平洋戦争中の1944年10月、那覇市は空襲の被害により市の90%を消失してしまいました。

県庁舎もその機能を果たすことができなくなり、宜野湾村に一時移転となります。

アメリカ軍が上陸してきてからは、部隊の移動に合わせて県庁も転々としていきます。

しかし1945年、摩文仁村の壕で県庁は事実上停止となり、一時的に姿を消すことになったのです。

本土復帰と沖縄県庁

終戦後、那覇市はアメリカ軍の占領下として立ち入り禁止区域に指定されました。

その後の1949年、アメリカ軍の長官が「沖縄の首都を那覇とする」と発言したことで次第に沖縄県の中心都市としての機能を回復していきます。

そして1972年、沖縄県は本土に復帰します。

復帰当初、県は琉球政府の庁舎を県庁としましたが、さまざまな機能が移転してきたため手狭になってしまいました。

そこで1981年から新庁舎への移転計画が進められていきます。

現在の庁舎が完成したのは1990年1月のことです。

那覇市の概要

次に沖縄県の県庁所在地である那覇市の概要を見ていきましょう。

那覇市の人口

2022年10月の統計では、那覇市の人口は約31.4万人となっています。

日本の県庁所在地の中では面積が最も小さいですが、人口密度は大変高い都市です。

地方都市では人口減少が続いている近年ですが、那覇市とその近郊は人口増加の傾向にあります。

那覇市では、那覇空港の存在により市街地に高層ビルを建てることができません。

そのため年々の人口増加に伴い、規制のない場所や旧市街地にビルやマンションの建設が進められています。

那覇市の気候

那覇市は亜熱帯性の気候です。

平均気温が約23℃にもなり、年中温暖で過ごしやすい場所となっています。

また、降水量が大変多く年間2,000mmを超えることもあります。

日本の最南端に位置する県庁所在地ですが、海風の影響で夏は比較的涼しいです。

35℃を超える猛暑日はほとんどないのが大きな特徴です。

那覇市の名前の由来

「那覇」の語源は「魚場(なば)」であると言われています。

「魚場」が魚場のことなのか魚市場のことなのかについては諸説ありますが、「魚をさばく場所=魚市場」という説が有力のようです。

沖縄県の現地語で那覇は「ナーファ」「ナファ」と発音します。

これに「那覇」の感じが当てられるようになったのは江戸時代初期ごろからです。

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