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長野県の県庁所在地はなぜ長野市?

最終更新日: 2022年11月14日 (公開日: 2022年11月14日)

長野県の県庁所在地の概要

県庁所在地

長野市

県庁の住所

〒380-8570長野県長野市大字南長野幅下692-2

県庁舎

長野県の県庁舎は行政庁舎と議会棟に分かれている地上10階、地下1階建ての建物です。

標高371.3mの場所に建てられた県庁舎は、日本で最も標高の高い場所にある県庁舎となっています。

現在の庁舎は3代目で、初代庁舎は1874年に現在の信州大学がある場所に完成したものの、1908年の火災により全焼してしまいます。

2代目の庁舎は1913年に完成しましたが、1948年にまたも火災によりほとんどが焼失。

現在の庁舎が完成したのは1967年のことです。

2021年には建物の老朽化を理由に東庁舎と妻科庁舎の解体が決定しました。

長野市が県庁所在地になった経緯

ここからは長野市が県庁所在地になった経緯について解説します。

廃藩置県と長野県

現在の長野県は昔「信濃国」と呼ばれていました。

1871年の廃藩置県をきっかけに、現在の長野県北東部が「長野県」、中南部と飛騨地方を合わせて「筑摩県」となりました。

長野県の県庁は善光寺を中心に栄えていた門前町であった長野市に置かれました。

そして筑摩県の県庁は松本城の城下町として栄えていた松本市に置かれました。

長野県と筑摩県の統合

1867年、筑摩県の県庁舎が火災で消失するという大事件が起こります。

これをきっかけに筑摩県は飛騨地方が岐阜県へ、その他の地域が長野県へ編入されることになるのです。

そしてもともと県庁所在地だった長野市がそのまま残ったという経緯があります。

筑摩県の県庁が消失していなければ、長野県と筑摩県が統合された時県庁は松本市になっていたかもしれません。

松本市は長い間信濃国の国府があった場所です。

しかも江戸時代の終わりにはやく1万4千人もの人が住んでいたため、県庁所在地になる理由として適当だったのです。

度重なる県庁移転の論争

新しく元筑摩県と合併した長野市と、県庁所在地を奪われる形になった松本市では県庁移転を巡って度々論争が起こっています。

過去に2度長野市の庁舎が火災に見舞われた際には、県庁移転の声が特に大きく上がりました。

移転を求めた理由としては、「長野市は県の北部に位置しており県庁所在地として不便であること」というのが主なものだったようです。

それと同時に分県論を唱える人も増えてきました。

幾度となく話し合いや投票が行われましたが、いずれも県庁移転には至らず現在も移転問題は見送られたままとなっています。

長野市の概要

次に長野県の県庁所在地である長野市の概要について見ていきましょう。

長野市の人口

2022年10月の調査によると、長野県の人口は約36.8万人です。

県内の人口は最多ですが、近年の少子高齢化の影響もあり、長野市の人口は2000年頃から徐々に減り始めています。

このまま人口減少が続けば、2060年ごろには27万人を下回ると予想されています。

また、老年人口も増加傾向にあり、2045年には70〜74才の人口が全体の中で最も多くなる見込みです。

長野市の気候

長野市は盆地にあることから、寒暖差の激しい地域です。

夏の日照時間は長く、日差しが強いため8月の平均気温は31℃を超えています。

昼間の暑さは厳しいですが、夜は比較的過ごしやすく熱帯夜も少ないです。

冬には北部や山間部を中心に豪雪地帯となることがあります。

一方で市街地は雪があまり降らず、多く積もっても30cmほどです。

長野市の名前の由来

「長野」という地名は「長い野」を意味しています。

長野市にある善光寺付近が長い傾斜の土地であったことが由来と言われています。

善光寺付近が「長野村」と呼ばれるようになり、やがて戦国時代には集落となり、村名、町名、市名、県名と受け継がれていったのです。

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