茨城県の県庁所在地はなぜ水戸市?
茨城県の県庁所在地の概要
県庁所在地
水戸市
県庁の住所
〒310-8555茨城県水戸市笠原町978番6
県庁舎
茨城県の県庁舎は、水戸市にあります。
建物は緑が多い公園の中に位置し、多くの市民が利用できる場所となっています。
自然の風や光を積極的に取り入れ、省エネ対策も行なっている建物です。
また、県庁舎内の2階と3階には県政について知ることができたり、気軽に相談できるスペースもあります。
地上から100メートルの25階には展望台があり、茨城県の自然について学べるコーナーも設置されています。
建物の屋上にはヘリポートがあり、救急や自然災害の際に役立てられます。
水戸市の概要
次に水戸市の概要についてご紹介していきます。
水戸市の人口
水戸市の人口は2022年8月1日のデータで269,561人となっています。
水戸市は県内で一番大きな市ですが、その人口は茨城県全体の1割程度です。
水戸市の気候
水戸市は夏でも比較的暖かい土地です。
これはオホーツク海気団の影響であり、真夏日も大変少ない場所です。
熱帯夜がほとんどなく、過ごしやすいのが特徴です。
冬は放射冷却の影響で朝晩の気温が下がりやすく、1日の寒暖差が激しいと言えます。
しかし1年を通して見ると非常に穏やかな気候に恵まれた土地となっています。
水戸市の由来や成り立ち
水戸市は那珂川(なかがわ)を中心に、水運の港町として栄えていました。
「水運の戸口である」ということから、「水戸」という名がついたとされています。
いつごろから水戸と呼ばれていたかははっきり分かっていませんが、室町時代にはすでに「水戸」という地名になっていたようです。
現在は陸路の発達により、那珂川は水運の要としての機能を残していません。
水戸市発祥とされているもの
水戸市はオセロの発祥地であるとされています。
水戸市出身の長谷川五郎という人が、海外の「リバーシ」というゲームをアレンジしてオセロを考案しました。
しかしこれには諸説があり、もともとあったゲームをアレンジしただけなので発祥とは言えないと考える人もいるようです。
また、水戸市はルーズソックス発祥の地であるとも言われています。
これにも諸説があり、発祥は宮城県仙台市であると言う説もあります。
水戸市と水戸黄門
水戸市と言えば有名なのが水戸黄門です。
水戸黄門の本名は江戸時代に水戸藩主を務めていた「徳川光圀(とくがわみつくに)」です。
徳川光圀は徳川家康の孫にあたる人物です。
4歳まで生まれた実家で育ち、その後水戸城に入城、水戸藩主になってからは寺社の改革を積極的に行なったり、殉死の禁止を定めたりしました。
水戸黄門はテレビドラマなどの影響から全国各地を旅して回ったイメージが強いですが、実際に全国を旅したという記録は残されていません。
むしろ関東圏から出ることの方がまれで、テレビドラマの水戸黄門の姿は完全なるフィクションなのです。
水戸市が県庁所在地になった経緯
水戸市が県庁所在地になった経緯について解説します。
廃藩置県と水戸市
廃藩置県以前、水戸市はもともと水戸藩という名前でした。
1871年の廃藩置県をきっかけに水戸藩は水戸県となり、県庁は弘道館という場所に置かれました。
弘道館とは江戸時代の大規模な教育施設であり、学問や武芸などさまざまなことを学ぶことができました。
現在で言う総合大学のようなものと考えてよいでしょう。
1872年に学制が発布されたことで弘道館は閉鎖となり、その建物を県庁舎として利用したのです。
県の統合
廃藩置県が行われた際、現在の茨城県の範囲内には18の県が存在していました。
その後県の統合が行われ、18県が3県(茨城県、印旛県、新治県)となりました。
これを第一次府県統合と言います。
そして1875年、まず印旛県の廃止、新治県分割を経て現在の茨城県が誕生します。
水戸市が県庁所在地になった理由
水戸市が県庁所在地に選ばれた理由として一番大きいのは、水戸城を中心に城下町として栄えていたことです。
全国的に見ても、県庁の近くにお城や城址がある県はとても多いです。
城下町は人口が集中している商業の中心地と言えます。
そのような場所は県庁所在地として選ばれやすいと言う事実があります。
また、水戸市が茨城県の中心部に位置していたことも選定理由の1つです。
県内全域からのアクセスがよく、県庁所在地として適切だったことが挙げられます。
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