千葉県の県庁所在地はなぜ千葉市?
千葉県の県庁所在地の概要
県庁所在地
千葉市
県庁の住所
〒260-8667千葉県千葉市中央区市場町1-1
県庁舎
千葉県の県庁舎は本庁舎、中庁舎、南庁舎、議会棟で構成されています。
近くには警察本部や地方裁判所などもあります。
本庁舎の1階には県民ホールがあり、訪れた人に千葉市県の情報提供を行なっています。
県民ホールには絵画などの展示スペースもあり、さまざまな絵画や彫刻、書道などが展示されています。
千葉市が県庁所在地になった経緯
ここからは千葉市が県庁所在地になった経緯について説明していきます。
古くからの城下町だった千葉市
千葉市は古くから亥鼻城(いのはなじょう)を中心とした城下町として栄えていた場所です。
亥鼻城は源頼朝の重鎮として活躍した千葉常重が居城として築いた城です。
現在亥鼻城の姿はなく、跡地が亥鼻公園として整備されています。
交通の要としての千葉市
江戸時代になると千葉市はその大部分が佐倉藩の領地となります。
そして徳川家康の命令で建てられた佐倉城と江戸を結ぶ佐倉街道が開通しました。
これをきっかけに現在の千葉市周辺な大規模な宿場町となり、多くの人々が行き交いました。
将軍が休憩や宿泊をするための御殿も建てられ、交通の要となったのです。
江戸時代の後期になると千葉市は登戸浦や曽我野浦を中心に、江戸へ荷物を運ぶための水運拠点にもなります。
登戸浦の様子は葛飾北斎の『富嶽三十六景』にも描かれています。
廃藩置県と県庁所在地決定
1871年に廃藩置県が行われ、現在の千葉市は印旛県という県になります。
しかし2年後の1873年、印旛県は木更津県と合併し、新たに千葉県が誕生します。
この時印旛県と木更津県の県境に位置し、人口や交通網が集中していた千葉市に県庁が置かれることになりました。
その後も1894年には国鉄である総武鉄道が開通するなど、千葉県の中心地として開発が進みました。
第二次世界大戦時には大規模な空襲により、千葉市の約7割が壊滅する被害を受けることになります。
戦後の工業発展
第二次世界大戦終結後、千葉市は工業地帯としても大きな発展を遂げました。
まず大規模な埋立地を作り、戦災復興計画により製鉄所を誘致します。
その後も城下町としての名残を残しながら、さまざまな工場が集まる都市へと変わっていきます。
現在千葉市は京葉工業地帯の中心地でもある工業都市として知られています。
千葉市の概要
次に千葉県の県庁所在地である千葉市の概要を見ていきましょう。
千葉市の人口
2022年10月の統計によると、千葉市の人口は約98万人となっています。
千葉県最大の都市であり、全国の市町村の中で12番目に人口が多い場所です。
千葉市の人口は年々増える傾向にあります。
東京都内にも通勤しやすいことから、比較的若い世代が多いのが特徴です。
千葉市の気候
千葉市は比較的年中温かく、過ごしやすい太平洋側気候の土地です。
年間の平均気温は15.7℃ほどとなっています。
8月の平均気温は27.1℃とそれほど暑くならず、猛暑日も少ないです。
しかし海からの湿った風邪の影響で夜になっても気温があまり下がらないため、蒸し暑い日が多いのが特徴です。
冬も温暖ですが、放射冷却の影響で稀に氷点下になることもあります。
また、低気圧の影響を受けて市街地の近くで積雪量が多くなることもあります。
千葉市の名前の由来
「ちば」という言葉は万葉集の中にも登場しています。
現在の千葉県域である下総国に住んでいた、大田部足人という人物が詠んだ歌の中に「千葉の野」と記されているのです。
「千葉」には「多くの葉が茂る」という意味があり、千葉の地が昔から豊かであったことを示しています。
その他にも「茅(ちがや)」という植物が生い茂る場所という意味の「茅生(ちぶ)」がなまって「ちば」になったという説など、その由来には諸説あります。
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