神奈川県の県庁所在地はなぜ横浜市?
神奈川県の県庁所在地の概要
県庁所在地
横浜市
県庁の住所
〒231-8588神奈川県横浜市中区日本大通1
県庁舎
神奈川県庁舎は本庁舎、新庁舎、西庁舎、東庁舎に分かれています。
以前の庁舎は関東大震災の時に消失してしまったため、1927年から再建が始まりました。
翌年1928年に完成した本庁舎の塔屋は「キングの塔」と呼ばれ親しまれています。
1966年に完成した新庁舎はトイレやエレベーターなどをビルの真ん中に配置する設計となっており、当時としては珍しいものでした。
2019年には県庁舎の建物の一部や車庫、外壁、建設図面などが重要文化財となりました。
横浜市が県庁所在地になった経緯
ここからは、なぜ横浜市が県庁所在地になったのかについて解説していきます。
廃藩置県と神奈川県
1871年に廃藩置県が行われるまで、神奈川県には「六浦藩」「萩野山中藩」「小田原藩」が置かれていました。
廃藩置県によりこの3つの藩はそれぞれ「県」へと名前を変えることになります。
同じ年の9月、まず六浦県が廃止となり、神奈川県となります。
そして萩野山中県と隣接している韮山県を小田原県に統合させ、11月にはその小田原県も足柄県へと名前を変えました。
1876年、足柄県を廃止し、神奈川県へ統合させます。
そして1893年、それまで神奈川県域であった多摩の3群が東京府となり、現在の神奈川県域が誕生したのです。
横浜港の開港
横浜市が県庁所在地に選ばれた理由として大きいのは、横浜港の存在です。
横浜港は1859年に開港した歴史ある港です。
1858年の日米修好通商条約では当初神奈川港を開港する予定でした。
しかし当時神奈川は東海道の宿場町として栄えていたため、開港すれば外国人を嫌う攘夷派の人々と対立が起こる危険性がありました。
幕府は治安の悪化を恐れ、貧しい漁村であった横浜村に開港地を変更したのです。
諸外国からの猛反発と県庁所在地決定の経緯
条約締結の際、日本は「神奈川を開港する」と約束していました。
しかし実際に開港されたのは横浜港でした。
それを見た諸外国は「条約の内容と話が違う」と日本に対して猛反発します。
そこで日本は現在の横浜市に神奈川奉行所を移します。
そして現在の神奈川県庁がある場所を神奈川運上所とし、「横浜は神奈川県の一部であるから嘘をついていない」と主張。
1868年には神奈川奉行所と神奈川運上所が「神奈川裁判所」となり、実質県庁の役割を果たし始めることになります。
横浜市が県庁所在地に選ばれた理由には、こんな経緯があったのです。
その後横浜村は外国との玄関口として大きく発展することになります。
横浜市の概要
次に横浜市の概要について見ていきましょう。
横浜市の人口
2022年の調査によると、横浜市の人口は約377.2万人です。
これは東京23区(特別区)を除いた全国の市区町村の中で最大となっています。
将来の展望としては、人口のピークは2019年であり、そこから少しずつ減少に向かうとされています。
また、高齢化も進み2065年には65歳以上の割合が35.6%にもなるという予想が出ています。
横浜市の気候
横浜市は年間の気温差が大きく、四季がはっきりしている地域です。
特に梅雨時と秋に降水量が多く、夏の気温は比較的穏やかです。
しかしヒートアイランド現象の影響により、冬の平均気温は年々上昇する傾向にあります。
東京都のベッドタウンとしての横浜市
横浜市は東京都へのアクセスのしやすさなどから、東京都のベッドタウンとしての側面が強い都市です。
約30万人の人々が東京方面に仕事に出たり通学しており、昼間人口と夜間人口の差が非常に大きいのが特徴です。
そのため横浜市内総生産額は12.3兆円で、これは人口約232万人の愛知県名古屋市と同程度となっています。
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