幽霊の種類一覧。守護霊・背後霊・浮遊霊や日本三大怨霊についても解説!
幽霊とは
幽霊とは、死後に成仏することができなかった死者の魂が現す姿のことです。
一般的に現世に何らかの思い残しなどがある場合に現れると言われており、成仏させるにはその心残りをきちんと解消させてあげる必要があります。
幽霊の種類一覧
ここでは、幽霊の種類について簡単に解説していきます。
守護霊
守護霊は、特定の人を守護・保護するために付く霊のことです。
守護霊と一口に言ってもふたを開けてみれば更に細分化しており、指導霊・支配霊・補助霊などがいると言われています。指導霊はその人間が持つ専門分野や才能を伸ばすためのサポートを、支配霊は就職や結婚などの人生の大きな転機のサポートを、補助霊は指導霊・支配霊などの補助をします。
背後霊
背後霊とは、その字の通り自身の背後にいる霊のことです。何となく悪いイメージを持ってしまいがちですが実はそうではなく、特定の人を応援したい・見守りたいという思いから背後についていることが多いようです。
ただし、全てが全て良い霊というわけではありません。自身の行いなどによっては悪い霊がついてしまうこともあるようなので、その点をきちんと理解しておきましょう。
浮遊霊
浮遊霊とは、死んでも尚自身の死を受け入れられない・自覚していないせいで成仏することができず現世を彷徨い続けている霊のことです。突然死を迎えた人がこの浮遊霊になってしまうことが多い傾向にあります。
また、浮遊霊であったとしても特定の場所に居続けるようになったものは地縛霊に分類されることがあるようです。
生霊
生霊とは、生きている人の体から抜け出した魂が自由に動き回っているもののことです。特定の人に対しての執着が原因で魂の一部が抜け出し相手についてしまうので、執着心を手放さない限りずっとついたままになってしまいます。
古典文学「源氏物語」の登場人物 六条御息所が源氏を想うあまり源氏の正妻 葵上を呪い殺してしまうという話がありますが、これも六条御息所の生霊によるものです。
怨霊
怨霊とは、恨みや憎しみが強いあまり死後も成仏することのできない霊のことです。
生きている者に対しての恨みが深い場合は、死後特定の相手に災いを与えたり祟りを起こす場合があります。時にはそれでは飽き足らず天変地異などを起こすこともあるため、古来より恐れられてきました。
地縛霊
地縛霊とは、自身が亡くなってしまった事実を受け入れられなかったり理解できず、亡くなった場所にいつまでも居ついてしまっている状態の霊のことです。
その場所の工事を妨害したり、自身と同じように生きている人を死に追いやろうとしてしまうこともあるため、きちんとお祓いをする必要があります。
憑依霊
憑依霊とは、生きている人間に憑りついた霊のことです。憑依霊の代表格としては、悪魔や狐などが挙げられます。
この憑依霊がつくと、その影響は主に3パターンに分けられると言われています。一つ目は人格も全て霊に乗っ取られてしまうパターン、二つ目は健康に影響を与えるパターン、三つ目は霊の声が聞こえたり姿が見えてしまうパターンです。
動物霊
動物霊とはその名の通り動物の霊のことです。
動物霊は主に犬・猫・ヘビ・狐・タヌキ・龍の5種類がいると言われており、これらの動物霊がついてしまうと整理整頓ができなくなってしまったり、外出を避けるようになったり、他者に対して攻撃的になってしまうと言われています。
日本三大怨霊
怨霊は霊の中でも厄介な存在ですが、その中でも菅原道真・平将門・崇徳天皇は「日本三大怨霊」と呼ばれるほどの災いをもたらしたとされています。それぞれについて解説していきます。
菅原道真
平安時代に学者や政治家として活躍した菅原道真は、学問の神として祀られるほどの才能の持ち主でした。しかし、藤原時平が藤原道真が謀反を企てていると嘘をついたことがきっかけで、道真は失脚。太宰府へと左遷され、その後亡くなってしまいます。
それから間もなくして時平が突然死し、その後も落雷や病気などで時平の周辺にいた人は皆立て続けに亡くなっていきます。これが菅原道真による祟りだと言われるようになり、これ以上祟りが続くことを恐れた朝廷の人々が北野天満宮を建立し菅原道真を祀りました。
平将門
平将門は、平安時代に活躍した豪族です。「平将門の乱」を起こしたことでも有名ですが、この反乱をきっかけに将門は自らを新皇と名乗り、新らしい国家を作ろうとしました。
しかし朝廷に対する反逆行為だとして将門は討たれ、その首が京都の七条河原に晒されますが、その日から将門の首が歯ぎしりをしている、目を閉じないなどの噂が絶えないようになります。そのうちに首が体を求めて現在の東京都大手町まで飛んでいき、怨念を恐れた人々が「平将門の首塚」をその地に建てたと言われています。
崇徳天皇
崇徳天皇は、日本の第75代目の天皇です。しかし天皇と言ってもほとんど実権を握らせてもらえず、周囲からずっと不当な扱いを受けてきました。
「保元の乱」では後白河天皇と権力争いをするものの敗北。その後讃岐に流されますが不当な扱いが改善されることはなく、恨みを募らせた末崇徳天皇は亡くなってしまいます。
崇徳天皇の死後、朝廷にいた人物が立て続けに亡くなっていきますが、事態はそれだけでは収まりませんでした。京都の町で洪水・大火・飢饉など、次々に災いが降りかかるのです。これらの出来事があって、崇徳天皇は怨霊と言われるようになりました。